新しいブログ始めます。

長らくブログを放置したままにしていましたが、

引っ越しを機に、ライブドアブログに新しいブログを開設しました。
東京から北九州・小倉への移住生活を綴ります。
仕事やアート、建築などの記事も今後はこちらに投稿します。
これからも、どうぞよろしくおねがいいたします。m(_ _)m

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映画「未来をなぞる 写真家・畠山直哉」

映画「未来をなぞる 写真家・畠山直哉」の試写会に参加しました。

日本を代表する写真家のひとり、畠山直哉さんは、岩手県陸前高田市の出身。
東日本大震災による津波で、お母様を亡くされています。

この映画は、主に、震災後の畠山さんの創作活動を追ったドキュメンタリー。
畠山さんが、写真家として、表現者として、故郷を襲った震災とどのように向き合ってきたかが
感情を抑えた、静かな語り口で描き出されています。

あまりにも多くのものを一度に失った個人としての体験、
震災当日の「被災地」には居合わせず、役所から「被災者ではない」と言われる複雑な立場、
自分に何ができるか、何をするべきか考えながら被災地を訪ね歩く姿。

その様子を追う映像は、私たち全員に、
それぞれの立場での「3.11」を振り返らせずにはおきません。

「フォトジャーナリズムの性急な言論、性急な映像ばかりを見せられていると
たとえそれが人の笑顔であっても、自分の心が解放されていく感じがしない。
複雑になってしまった僕らの気持ちは、それだけではうまく解れていかないんですね」

これは、この映画の予告編にも採録されている、畠山さんの言葉です。

映画の中で、被災地をめぐる畠山さんは、何度も、何度も立ち止ります。

そして三脚を立て、銀塩カメラを構える。アトリエで現像し、印画紙を裁断する。
ギャラリー風景でしょうか、自らの手で額装のマウントを切るシーンもありました。

畠山さんが震災後の故郷を撮影した作品は、
直後の10月に東京都写真美術館で開催された個展「ナチュラル・ストーリーズ」をはじめ
自筆のエッセイを採録した写真集「気仙川」 、「陸前高田 2011‐2014」 などで順次発表されています。

おそらくこれからも、畠山さんは故郷の風景を撮り続けていくのでしょう。

監督の畠山容平さん(同姓ですが親族ではないようです)は、畠山直哉さんとの対談で
直哉さんの「前向きにはなれない」という思いに共感してこの映画を撮った、と語っています。

映画のタイトル「未来をなぞる」は、
復興に向かう故郷を追う畠山さんのまなざしが、
それでもゆっくりと、前を向き始めていることを示唆しているのでしょうか。

公開は7月下旬から、渋谷のシアター・イメージフォーラムにて。

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ダブル・インパクト--明治ニッポンの美。

な〜んにも考えずに、トーハク「鳥獣戯画展」に出掛けたら、
平日午前にもかかわらず、入場まで90分待ち、甲巻展示はなんと100分待ち!
真夏日になろうという日に、何の支度もせず屋外に1時間半もいられません。
出直すことに決めて、この日は東京藝術大学大学美術館の

明治ニッポンといえば、最近は「明治日本の産業革命遺産」が話題ですね。
黒船が来て、長い江戸時代が終わり、急ピッチで近代化を推し進めた産業界。
同じ頃、美術の世界では何が起きていたのでしょうか。

タイトルの「ダブル・インパクト」とは
開国以来、日本が西洋から受けた衝撃(ウェスタン・インパクト)と
来日した西洋人が日本から受けた衝撃(ジャパニーズ・インパクト)を指します。
でもって、それぞれを象徴する東京藝術大学とボストン美術館、
ふたつのコレクションを組み合わせた展示です。

日本人の錦絵や日本画、そして洋画、工芸品に加え、
日本人を指導した西洋人による絵画や彫刻も出品されています。

とはいえ、藝大美術館が持ってるものはどっかで見てるし、いつか見られるはず。
狙いはやっぱり、ボストン美術館の所蔵品ではないでしょうか。

川鍋暁斎も菱田春草も、下山観山もよかったけど!
意外な掘り出し物は横山大観。
「富士山の画伯」のイメージを破る、抽象画のような“朦朧体”の作品が帰国しています。

そして、さらなるインパクト、は、初めて知った、小林永濯「菅原道真天背祈祷の図」。
フライヤーのメインビジュアルにもなってます。

まさしく劇画!
菅原道真のイメージも、それより明治日本絵画のイメージも、
思いっきり覆されました。

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葉山へ。----遠藤新設計「加地邸」&吉田五十八設計「山口蓬春画室」

フランク・ロイド・ライトの愛弟子、遠藤新設計の「加地邸」。
5月17日までの土日の日中、13時から16時の3時間だけ公開していると聞いて、
新緑の眩しい葉山まで行ってきました。
Kachi

昭和3年の竣工というから、今年で築87年になるんですね。
つい最近まで生活が営まれていたようで、
トイレに温水洗浄便座が取り付けられていたり。
暮らしの痕跡が濃厚に感じられて、そのことにまず圧倒されました。
「生きられた家」が人の心をつかむのは、どうしてなんでしょう。

大谷石を多用した建物は、やっぱりライトにそっくりです。
規模もプランも全然違うのに、芦屋の山邑邸(ヨドコウ迎賓館)を思い出しました。
Yodokou
特に、玄関前のピロティを利用した、水盤のあるテラスとか。
残念ながら、写真はうまく撮れなかったのですが。

近くには、日本画の大家、山口蓬春の旧家を利用した記念館もあります。
こちらには、近代数寄屋の吉田五十八の建築が残されています。

昭和28年築の画室は、天井が高くてとってもモダン。
開口部を全開できる引き込み式の引き戸には、
日差しを調節するために一部だけ引き違いになった障子や
全開時に戸袋を隠す板が取り付けられているなど、
細かな工夫がいっぱい。
Housyun1

照明もフラットな 天井埋め込み式になっており、今見ても新しい。
数寄屋というより、今流行の「和モダン」でした。

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尾形光琳の国宝屏風、56年ぶりの邂逅---「燕子花」と「紅白梅」

東京・青山の根津美術館で5月17日まで開催中の

会期も終わりに近付き、庭の燕子花も盛りを過ぎてしまいましたが
最後の一週間は夜19時まで開館しています(入館は18時半まで)。

今年は「燕子花図」に加え、MOA美術館所蔵の「紅白梅図」と国宝屏風揃い踏み!
やはり、間近で見ると迫力が違います。幻想的な屏風の世界に吸い込まれそうでした。

「燕子花図」は伊勢物語「八橋」の段、在原業平の東下りの段に取材しているとされるのに
「橋も人物も描かれていない」とよく言われますが、
近付けば絵の中に入り込み、自分自身が登場人物であるかのように感じられるのです。

そして、「紅白梅図」! どれだけ見ていても見飽きません。
2本の梅の幹の姿も枝振りも、可憐な花々も、中央を流れる抽象画のような水流も。

その上、今回の展示では同じ空間に俵屋宗達の重文屏風「蔦細道図」も並んでいるのです。
まさに壮観!!

ほか、光琳のバックグラウンドになったという光悦謡本や、
光琳がデザインした工芸品の数々、弟・乾山との合作陶器も見ものです。
私は特に「流水図乱箱」の内側の絵が気に入りました。ここだけ見たらまるで現代アート。
金と青の色彩の対比もシンプルにして華やか、超モダン!

見逃せません。

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山口晃展@水戸芸術館

水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催中の「山口晃展 前に下がる 下を仰ぐ」に行ってきました。

Yamaguchi


当代の人気画家、私自身ももちろん大ファン!

とはいえなにぶん遠方だし、正直、行こうかどうか、ちょっと迷ってました。


しか〜〜し!! 結論から言うと、行かなきゃダメだった!! 

描き下ろし作品が多いだけでなく、

会場構成を山口さん自身が手掛けており、展覧会そのものが作品といえます。

行って体験するほかないのです! 


それでなくても、山口さんの代表作である「東京圖」などの

現代の洛中洛外図は、巨大な画面に緻密な描き込みが特徴。

画集や図録ではとてもその全容を味わい尽くせません。

実物の前に立って、隅から隅までじ〜〜っくり見たい。

超絶技巧の描写に華麗な色彩は単純に眼福だし、

虚実取り混ぜ時空を超えた、奇想天外な街並みにワクワクします!


また、このギャラリーならではの

細長ーい第6室を生かした「続・無残ノ介」は歩きながら読む劇画。

マテリアルや手法も様々な大小の作品をたどっていくと物語が完結します。

大スクリーンで映画を見るように、劇中に入り込むような感覚が味わえます。


写真は撮影が許された第3室。

銀座エルメスでの個展でも展示されていた「忘れじの電柱」の「イン水戸」バージョン。

階段を上り下りしつつ、いろんな角度から鑑賞します。階段は、ちょうど13段。

Yamaguchi1


会期は5月17日まで。残り少ないですが、オススメです!

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100のモノが語る世界の歴史--大英博物館展

東京都美術館(トビカン)で6月28日まで開催中の
選び抜かれた100の展示品を通して人類200万年の歴史を通観する、
壮大にして大胆な試みです。

解説も懇切丁寧で、「こんな歴史の見方があったのか!」と目を開かせてくれます。

タンザニアで原初の人類が手にした礫石器から、
21世紀の中国製ソーラーランプまで。
つくられた時代も場所も、互いに遠く隔たったモノの数々が、
今、目の前に、一堂に並ぶ事実を思うとワクワクしますね。

会場構成も美しく、かつ丁寧。
200万年を見事に切り分けた8つの章ごとに、
年表(日本史との比較もあり)と世界地図に作品をプロットしています。
一点一点を巡るストーリーも詳しく解説され、歴史の中にしっかり位置付けてくれます。

日本生まれの展示品も登場。

まず、第1章「創造の芽生え」BC2万年-BC2500年に、縄文土器が。
縄文土器って、世界最古の土器なんですね。そんなことも知りませんでした。
しかも、今回の展示品のおもしろいのは、19世紀の加工あとがあること。
縄文鉢の内側に金を貼って蓋を付け、茶道の水指として使っていたらしい。
いったいどんな茶人が、どんなお茶会に使っていたのか、妄想が膨らみます。

次はちょっと飛んで、第7章「大航海時代と新たな出会い」1500年-1800年。
オランダ東インド会社がヨーロッパに送った、柿右衛門の象の置物が登場します。
鎖国当時の日本の陶工は、いったいどんな思いで、
遠い他国の人に届ける、他国の生き物の姿を造形したのでしょうか。

そして、最終章の第8章「工業化と大量生産が変えた世界」1800年ー、には2点。
北斎漫画と、鉄製の、ヘビの自在置物。
どちらも、開国後の日本から輸出され、海外で人気を博したものだそうです。
匠の技とマンガは、昔も今も世界に誇る日本文化ですね。

写真は「第1章」の会場風景。主催者の許可を得て撮影したものです。
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この展覧会はトビカンを皮切りに、
九州国立博物館、神戸市立博物館を巡回する予定で、
各会場がそれぞれ「101点目」を選んで展示するそうです。

トビカンが選んだのは、あのプリツカー賞建築家の...、
これ以上はネタバレになるので控えます。

私は会期中にもう一度行きたいと思っています。
超オススメの展覧会です。

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国立新美術館「マグリット展」

国立美術館で6月29日まで開催中のマグリット展に行ってきました。
同時開催のルーヴル美術館展と両方見れば、当日100円引きです。

国内では13年ぶりの回顧展とのことですが、
何よりもまず、その充実ぶりに圧倒されました。
世界各国から集められた作品は、約130点!
比べるのはおかしいかもしれないけれど、ルーヴル展より50点ばかし多い。
個人蔵の作品も数多く含まれているので、これは貴重な鑑賞機会かもしれません。

商業デザインに携わった期間が長いだけに、平明な描写表現、
ある意味分かりやすいといえなくもないシュールな世界。
文字もたくさん描き込まれているので、
初歩的なフランス語の知識はあったほうがいいかも。
(そのぐらいの注釈、キャプションに付けてくれたらいいのに...)

個人的には、戦前戦後の短い間に突如表れる、
ルノワール風やフォーヴィズム風の作品が新鮮でした。
こんなの描いてたんだ...。

とはいえ、最も多く展示されているのは円熟期の作品です。
王道の回顧展ではないでしょうか。

【この展覧会、私の一点】
人物のいない「光の帝国」、1950年の作。
明るい青空の下に、闇に沈む街並みがあり、一本の街灯が光を放つ。
絵本の1ページのような、静謐で美しい作品です。

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映画「だれも知らない建築のはなし」

ドキュメンタリー映画「だれも知らない建築のはなし」の試写会に
参加してきました。

建築に興味のある人なら絶対おもしろいし、建築にかかわる人には絶対見て欲しい。
近代建築史が活き活きと語られ、
そして、これから建築はどのような役割を果たすべきか、深く考えさせられます。

映画は、10人の建築関係者への単独インタビューを繋ぎ合わせつつ、
間に、話題に上る建築や、時代背景を物語る資料映像を挟み込む構成になっています。

と、書くと、静的な映画のようですが、
巧みな編集によって、インタビュイー同士の忌憚のない批判が、
臨場感あふれるディスカッションのように、ドラマチックに展開します。

たとえば、建築批評家のチャールズ・ジェンクスが、
自ら定義づけた「ポストモダン」について熱く語った直後に、
批評される対象である建築家ピーター・アイゼンマンが登場して
「あいつは、“ハメルンの笛吹き”だから」とこき下ろすくだりなど、爆笑もの。

アイゼンマンは、ポストモダンについてはボロかすでしたね(笑)。
世界的には、1988年のMOMAの「脱構築主義者の建築展」によって
ポストモダンの流行に終止符が打たれたと語っています。
ただ、「日本でだけは、その後もしばらく生き延びたのだ」

この映画はもともと、昨年開催された
「ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展」日本館のためにつくられた映像を
劇場用に再構成したものといいます。

このビエンナーレの総合ディレクターが、
映画にも登場するレム・コールハースでした。
そして、ビエンナーレ史上初めて、
ナショナルパビリオン共通のテーマが掲げられたそうです。
それは「Absorbing Modernity 1914-2014(近代の吸収 1914-2014)」。
そのために制作された本作が、同じテーマを踏襲しているのは当然のことですね。

映画は
「第一章 70年代に遡って」
「第二章 日本のポストモダン建築」
「第三章 コミッショナープロジェクト」
「第四章 バブルがはじけて」の4つに章立てられています。

インタビュイーとして登場する建築家は5人。
磯崎新、安藤忠雄、伊東豊雄、レム・コールハース、ピーター・アイゼンマン。
その共通項は、1982年にアイゼンマンの呼びかけで行われた
国際建築家会議「P3会議」に参加していたことでした。

「P3会議」とは、試写で配られた資料によれば
「アメリカで多くの商業的な高層ビルが建てられて行った時代で、
そういったものに建築家がどう関わるか激しく議論していたんですね。
当時も新しい建築家像が、重要なテーマとしてあったんです」
(監督・石山友美さんのコメント)

この会議を「あまりにも底が浅かった」と酷評したコールハースが、
今では「建築家がいないかのような建築」を目指して高層ビルをいくつも手掛けている。
会議の最も忠実な継承者のように読み取れるのも歴史の皮肉と思われました。

「建築家には、社会に貢献できているという満足感が得られていない」と
語るコールハース。
「その焦燥感のはけ口が、日本の建築家にとっては震災、
自分にとってはビエンナーレだ。ここでは震災は起きていないが」
と結びます。

あ、ストーリーが完結した。

鑑賞中は、この映画に主役がいるとすれば、それは磯崎さんかな、
と思っていたのですが、意外や、コールハースだったのかもしれません。
公開は5月下旬から。
東京は渋谷・宮益坂上の「シアター・イメージフォーラム」で。

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フェルメール「地理学者」と「天文学者」

現存するフェルメールの作品は、わずか30数点。
そう考えると、東京でただじっと待っているだけの割には、
けっこうな点数を見てきたといえるかもしれない。
中でも、2点しかないという男性単身像は、2点とも見たことになります。

これと対になっている「天文学者」を見てきました。

前者には地球儀、後者には天球儀が描きこまれていて、
そのどちらも、いつ、誰によって製作されたものか解明されているほど、精密に描写されています。

画面左に窓、人物の奥にキャビネットがあり、壁に絵が飾られた構図も同じ。
それぞれの机にはゴブラン織りの布が掛けられているなど、要素も似ている。

でも、よく似た窓は欄間の形が違うし、
地理学者は立っていて、天文学者は座っているなど、
それぞれに異なり、見比べていると飽きることがありません。

モデルの顔はなぜかぼかされているけれど、同一人物のように見える。
そして、着衣の色は「地理学者」がブルー、「天文学者」はグリーン。
両方とも「ヤポンス・ロック」=「日本の上着」というのも、日本人の心をくすぐります。

2つの絵が描かれた1668年・1669年といえば、日本は江戸幕府四代将軍徳川家綱の時代。
つまり、長崎でオランダと通商していた頃ですね。

そのときオランダにもたらされた日本の着物(の模造品)が、
彼の地の裕福な市民の間で流行していたことに思いを馳せると
ますます感興は深くなります。

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