村野藤吾と戦争
「新しい住まいの設計」の鈴木編集長が絶賛するので、
慌てて終了間際の「村野藤吾・建築とインテリア」展
(汐留ミュージアム)に行ってきました。
小さなギャラリーだし、「30分もあれば十分でしょ」と言ったら、
「1時間はかかるよ」と編集長。
結局、1時間半ぐらい粘ってしまいました。
代表作をほぼ網羅し、写真とオリジナル図面に解説を加えた懇切丁寧な展示。
階段の手すりやドアの取っ手、照明器具、家具などの立体資料も楽しいです。
キャプションには、建物の竣工年と併せて、そのときの村野の年齢も記されています。
ひとつひとつ追っていって、ふと気付くのは、
代表作のほとんどが、高齢になってからの作品だということ。
帝国ホテルの向かいにある日生劇場(日本生命日比谷ビル)の竣工が1963年で72歳。
1983年竣工の「谷村美術館」に至っては、なんと92歳。
そこで、戻って「巨匠の残像」に廣松隆志さんが書かれた「村野藤吾」の記事を再読しました。
さらに年譜を確認。
1929年、村野は38歳で独立しています。
1930年代には立て続けに「森五商店東京支店」「そごう百貨店」
「宇部市渡辺翁記念館」が完成。
しかしそのあと、1951年までめぼしい作品がない。
空白の1940年代、つまり「戦争」。
1891年生まれの村野にとって、40年代は50歳代に重なります。
ふつうなら、建築家として最も脂の乗り切った年代に、戦争に活躍の場を奪われた。
展示中盤に、村野による「船のインテリア」のコーナーが設けられています。
南米航路の客船2隻の、一等ラウンジや食堂、スモーキングルームの写真やスケッチ。
スクリーンに、その再現映像が上映されます。
これから世界に乗り出そうとする日本人の誇らしさをにじませた
「新日本様式」のインテリア。
美しい船はしかし、戦時中軍事に転用され、
一隻は撃沈、一隻は爆撃を受けて解体の憂き目に遭いました。
映像の最後に、村野の言葉が掲げられています。
正確には覚えていませんが、「戦争がすべてを奪っていった」という内容の。
廣松さんの記事によれば、
村野が亡くなったのは、1984年11月26日午後8時32分、享年93歳。
その3時間前まで、事務所で仕事をしていたそうです。
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