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「人は変われるものだと信じている」--映画『クリーン』(ネタバレあり)

久しぶりに、「また観たいな」と思える映画に出会いました。

マギー・チャン主演 『クリーン』

ヘロイン中毒の歌手が、一人息子とともに生きるため、再生の道を探る物語。

と、

書いてみて気がつきましたが、最近話題の某事件と似てますね。。。


でも、映画を見ている間は、まったく重なることはありませんでした。


マギー演じるヒロイン・エミリーは、かつてパリで人気を博したこともあるらしい歌手。
しかし、その頃から薬物中毒から抜けられず、
有名ロックスターの夫・リーをも巻き込んでしまいます。
そのうえ、二人の間に生まれた息子ジェイはリーの両親に預けっぱなし。
はっきり言ってダメダメで、しかも高慢ちきな女なんです。


物語は、落ち目のリーがエミリーと喧嘩した挙げ句、
オーバードーズで亡くなってしまうところから始まります。
周囲の人はみな、エミリーがリーをダメにし、死なせたと思う。
リーの両親、とくに義母は、ジェイにも「ママがパパを殺した」と教えるほど。


けれども、ニック・ノルティ演じる義父アルブレヒトは、
立ち直るため奮闘するエミリーの姿に、徐々に心を開いていきます。


物語終盤には、いやがるジェイをエミリーのもとに連れて行く。
そこでアルブレヒトがエミリーに語るのが表題の台詞。


「人は変われるものだと信じている」


この台詞もいいですが、このあとに出てくる台詞がさらにいい。


ジェイと暮らすため、一度は歌手の夢をおさえ、
デパートで売り子として働くと決めたエミリーでしたが
結局、オーディションのため海外に渡ることを選びます。ジェイを連れて。

アルブレヒトが、自分の目を盗んで旅立とうとしたふたりを見付け、
エミリーに真意を質したあとに発する、意外な台詞。


「困難なときに大きな決断をするのは難しいことだ。
 それでこそ君だ。祝福するよ」


アルブレヒト自身も、まもなく訪れる妻の死を前に、
「困難なとき」に立ち向かおうとしています。


「支え合おう」という言葉に説得力があり、深く、やさしい。

とてもストレートな「再生」のストーリー。
勇気をもらえる映画です。


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21世紀型再開発の先行例、豊洲

まだ開発は完了していないけれど、
豊洲は21世紀型再開発のテストケースといえます。

特に、ゆりかもめ豊洲駅の北側にあたる
江東区豊洲2丁目・3丁目。

特徴は、
まず第一に、複合機能都市だということ。

20世紀型、というか昭和型の都市開発は、基本的に単機能でした。
住宅地は住宅地、商業地は商業地、オフィス街はオフィス街。
「ベッドタウン」と呼ばれた団地群が典型です。
今となっては、「都市の限界集落」なんて呼ばれていたりする。
オフィスがないから人は出て行くし、商業がないから訪れる人もいない。

その反省もあってか、
豊洲では、晴海通り沿いがオフィス、
運河沿いが商業地、住宅地、文教地区と
さまざまな機能を計画的に振り分けています。

そのため、第二の特徴として、
官民一体で開発に取り組んできました。

計画時には「まちづくり協議会」でデザインルールを決め
遊歩道の一部は、沿道のマンションやオフィスが共同で提供しています。
オフィスビルも、道路面は一般開放してカフェや企業史料館を設けている。
多彩な機能を持つと同時に「街全体の一体感」の実現をも目指しています。


では、なぜ豊洲ではこんな大々的な面開発が可能だったのか?


「埋め立て地だからでしょ」では片付けられません。


同じ埋め立て地でも、豊洲は有明や台場、青海などの
「埋め立てたて」(といっても'70年代にはすでにあった)の街とは違い、
昭和初期にはすでに完成し、機能していました。

すでにひとつの役割を終えて、次の役割に移行しつつある街、
それが豊洲。

そこで、次からは
「豊洲では、なぜこんな開発が可能だったのか?」を
解き明かしたいと思います。


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東京は、湾岸へ?

・・・クエスチョンマークを付けてはいけないかもしれないけれど(笑)。

梅雨の最中、お天気と格闘しながら撮影した特集が
先週ようやく日の目を見ました。

リクルート「都心に住む」2009年10月号、「東京は、湾岸へ」

今回はリニューアルと重なったおかげで、
地下鉄に中吊りも出ました。

自分のつくった記事が、中吊りに載るのは何年ぶりだろ・・・
(住宅誌で中吊りまで出すのは、近年かなりレア)

やっぱり、嬉しいものですね。


月刊誌のペースだと、店頭に並ぶ頃には
つくったときのことはすでに遠い記憶。

しかし、春先の講談社「セオリー」に続いて、
湾岸(とくに豊洲)にはずいぶん通いました。

再度の取材を通して、
「街はいかにして成り立つか」について学んだことも。

文献をあたって仮説をたてたつもりでも、
実際に人に話を聞いて初めてわかることもあり
改めて、取材の醍醐味を感じる日々でした。

忘れないうちに、書いておかなければ。

というか、早いうちに思い出して(すでに忘れかけ)
整理したいと思います。

(この項続く)

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