ゴールデンウィーク、いかがお過ごしですか。
私は、連休の常で東京に引きこもっております。
それでも4日は陽光に誘われ、外に出掛けたくなりました。
「東京区分地図(笑)」を眺めていて、
「そういえば、向島には行ったことないかも」と思い立ったのです。
バッグに永井荷風の「日和下駄」をしのばせ、
千代田線を北千住まで。東武線の上り電車に乗り換えて、
業平橋駅に降り立ちました。
まず、駅の西側を、隅田川方向に歩き始めます。
このあたり、
向島1丁目界隈は、道がまっすぐで幅員もわりあい広い。
けれども、家々に塀がなく、
道路を庭先代わりに、鉢植えを並べているところに下町らしさを感じます。
駅の方向を振り返ると、「東京スカイツリー」建設の、
巨大なクレーンがそびえ立っていました。
隅田公園を抜けて通りに戻れば、その名も「見番通り」。
向島2丁目に入ると、にわかに料亭が目立ち始めます。
昭和初期までは全国一の花柳界だったという向島。
向島ドットコムによれば、
今も18 軒の料亭があり、 120 人ほどの芸者がいるそうです。
見番通りをさらに進むと、
西側に
独特の山門を持つ弘福寺が見えてきます。
弘福寺は、禅宗の一派黄檗宗のお寺。
前出「日和下駄」によれば、森鴎外は亡くなった当初この寺に埋葬され、
そのため荷風は毎年向島に通ったとあります。
ただし、関東大震災による被災後、
鴎外の墓は三鷹の禅林寺と津和野の永明寺に改葬されたそうです。
現在の弘福寺の山門も本堂も、昭和8年に再建されました。
弘福寺からさらに北上した東向島1丁目は、
かつての「赤線地帯」にあたります。
でも、浅草の吉原などと違って、今は風俗店は見当たらない。
もっとも、道幅の狭い
鳩の街商店街には、
独特の濃密な空気が漂っています。
路地に入ってみると、
おそらく赤線時代の名残と思われる、
独特の建物が並ぶ一角に迷い込みました。
小ぶりな家の表に、
奇抜な色合わせのモザイクタイル
が貼られていたりする。
時空の裂け目に落ちてしまったような感覚でした。
東向島1丁目の北隣は東向島3丁目。
ここには、
向島百花園があります。
荷風は、「百花園を訪うのは花のない時期に若くはない」
と書いていますが、
荷風言うところの「花のない時期」の初夏の今も、
水辺に菖蒲が咲いていました。
荷風の時代、私有だった花園は
昭和13年に東京市に寄付されたので
以来、当時よりは整備が進んだのかもしれません。
お大尽の遊興地をあとに、東武伊勢崎線を越えて進むと
東向島5丁目に入ります。
この一帯こそ、かつての赤線地帯「玉の井」。
あの「墨東奇譚」の舞台となった街です。
ここにも「鳩の街」のような気配が残っているかと思いきや、
真新しい住宅が目立ちました。
かなり最近、建て替えられた部分が多そうです。
一部に路地が残り、道もクランクしているものの、
全体としては陰のない、あかるい住宅街に生まれ変わっていました。